東洋医学の落とし穴~これから東洋医学を学ばれる方へ~
今日は少し趣向を変えて、タイトルのようなテーマでお話しします。
前回の記事で、「治療側の考え方が違う」ことをお伝えしました。
hoshinozaregoto.hatenablog.com
これにより影響が出てくるのが、教育活動です。
参考書や専門的なセミナー、果ては学会まで、考え方によって概念が大きく変わってきます。
しかし、学び始めたばかりの人は、例えば「実・虚」「寒・熱」など、簡単な言葉は受け入れやすいため、これらは共通の概念だと思っています。
違います。人によってそれすら概念が違うのです。
これが東洋医学を学ぶ初心者が最初にぶち当たるであろう壁です。
いわば、東洋医学の落とし穴です。
教える側すらそれに気づいていないことも多いのです。
ですので、私がまずお勧めしているのは、とりあえず古典を読むことです。
本当に東洋医学をやっていこうと考えるのであれば、遅かれ早かれ古典は避けて通れません。
まず、その覚悟を見ます。
パラパラ読みでもいいです。
できれば、原書を翻訳しながらをお勧めしますが、さすがにそれは初心者には・・・とも思うので、翻訳書を原書に照らし合わせながら読んでいくことをお勧めしています。
厳しい言い方ですが(何度も言っているのであえて言いますが)、古典を読んで何も残らないのであれば、東洋医学をやってはいけないのです。
分からなくてもいいです。
何かが残るはずです。
私は『黄帝内経』の「天にあっては、形なく声なく、始めも終わりもなく、空間・時間を超越して存在し、天地間の、あらゆるものの根源となる玄であり、人にあっては、霊妙な生命のはたらきの道であり、地にあっては万物の変化である化である。」という言葉に感銘を受けました。
今でも毎日朝起きて、窓を開け、まずこの文言を祝詞のように唱えています。
そしてそこから勉強していくと、様々な概念の違いに気づきます。
古典の概念は今の漢方医学にはほとんど残っていません。
そこで「何がどう違うのか?」を理解し、読み解いていくのです。
そして、自分に合っているのは何かという「学問を築いていくこと」が大事です。
東洋医学は創造の学問です。誰かに教えてもらうものではありません。
かくいう私はセミナーから入りました。
しかし、運よく良い師に巡り合えたので、これに気づき古典に立ち返りました。
私が思うに、東洋医学的に良い師というのは、「答えを教えてくれない」のだと思います。
答えは自分の中にしかないからですね。
以前もお伝えしましたが、東洋医学はどこまでいっても温故知新です。
故きを温ねる≒古典に立ち返るしかないのです。
ですから、数千年経った現在でも通用するのです。
これから東洋医学を学ばれていく方々には、良い師に出会えるよう願っております。