自分の「常識」は他人の「非常識」
コロナウィルスの影響で、ドラッグストアのスタッフの方々が、心身ともに疲弊している声をよく聞かれます。
「一人一つと張り紙をしているのに何個も買っていく」
「ないと書いているのに何回も問い合わせられる」
「業務を中断して問い合わせられる」
全て自分にとっての「常識」ではありませんか?
先日、友人で若くしてドラッグストアの店長をされている方にお話を聞きました。
「(コロナウィルスの影響で)大変ですか?」とお聞きしたら、「大変ですが、嬉しいことでもあります。」とお答えになりました。
この方は、自分の休みを返上して、開店から閉店まで毎日、店頭に立ち、お客様一人ひとりに在庫の状況などを説明し、頭を下げているといいます。
そして、「(在庫がないから)できない」ことではなく、「できる」ことをお伝えしているそうです。
先日も「手の洗い方」をイベントで実施したところ、石鹸やハンドソープは飛ぶように売れたそうです。
「私たちはセルフメディケーションを推進していく立場ですから、できることをお伝えしたらいいだけです」とおっしゃっていました。
この方は「肺」の人、すなわち「金の人」であり、五常では「義」であります。
「義」とは「正義」ではありません。
「義」とは冷静に時・場所・状況を判断し、「人の道を造ること」です。
この人の作る「道」は何よりも「道理」に適っており、「安全で安心」するのです。
「できないこと」で不安を煽ることではなく、「できること」で安全・安心を提供するのです。
正義ではないので、正しいか否かという人を裁くことをしません。
この人が正しさを説くのは「生か邪か」、すなわち「気」のみです。
この方々はそこを見極め、邪気を払い、正気を養うのです。
養生の基本ですね。
不安なのはお客様だけではなく、実は「こちら側」なのです。
ですから、その邪気に負け、お客様を悪者にする(人を裁く)のです。
「今の状況(コロナウィルスの流行)は大変不安ですが、しかしながら、これほど皆さんが予防を考え、四苦八苦したことはないと思います。ですから、今こそ私たちの能力を発揮しなければいけないときです。物がなくても、安心はタダで提供できますからね。」と笑っておっしゃっていました。
知り合った数年前は、「もう死ぬな、この人」と思ったことを懐かしく思いました。